ケータイ辞書JLogosロゴ 河瀬村(近世)


和歌山県>広川町

 江戸期〜明治22年の村名。有田【ありだ】郡のうち。和歌山藩領御蔵所。湯浅組に所属。当村枝郷に鹿ケ瀬村がある。村高は,慶長検地高目録では62石余,ほかに小物成3斗余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに68石余。「続風土記」によれば,田畑高68石余,家数17軒・人数74。熊野街道の鹿ケ瀬峠路要地の村で,小名に鹿ケ瀬がある。路次の家並みに旅籠の跡がある。田畑が少なく,生産力は低かったという。産土神は前田村の八幡宮。本村分の神社は川瀬王子社,寺院は浄土宗西山派地蔵寺。同寺には天保の飢饉の餓死者を悼む供養碑がある。鹿ケ瀬村分の神社は馬留王子社。寺院は浄土宗西山派観音堂。なお幕末には地士鹿瀬六郎大夫がいた(南紀徳川史11)。明治4年和歌山県に所属。同6年には戸数24,男75・女60。同22年南広村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7404553
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ