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下津(中世) 戦国期に見える地名尾張国愛知郡のうち天文21年10月4日の賢秀檀那注文に「下津」と記されており(桜井文書/岐阜県史史料編古代中世1),白山信仰圏に含まれていたまた経聞坊良雄礼儀入目覚書にも「竹本坊買得之尾州下津旦那」は元亀2年8月上旬以後は「経聞坊宿坊相定候」と見え,美濃白山長滝寺塔頭経聞坊の旦那が存在したことが知られる(経聞坊文書/同前)なお,元和2年9月書始めの猿投祭礼記録によれば,下津から猿投神社(現豊田市)の祭礼に献馬奉納して参加し始めたのは弘治3年という(日進町誌本文編)近世の折戸村の地に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」