ケータイ辞書JLogosロゴ 下野荘(古代)


和歌山県>吉備町

平安期に見える荘園名在田【ありだ】郡のうち「しもつののしょう」と読んだとも考えられる初見は正暦4年8月28日の紀伊国符案(高野山文書/大日古1‐8)で,事書に「応任旧例為不輸租田,停止検田使入勘右大弁宅所領石垣上・下,下野并参箇庄田畠事」とあるこれによれば当荘は右大弁平惟仲の所領で,惟仲の申請により,在田郡司に対して当荘および石垣上荘・石垣下荘を不輸租田として検田使の入勘を差し止めるよう命じているこれを受けて在田郡司は,正暦5年9月27日にこの国符を了承した旨の解状(同前)を差し出しているこれらの文書によれば,下野荘の地形を「山川険難之地」と記している下って長保3年6月26日の中納言平惟仲手印文書案(同前)には,「同国同郡下野庄壱処」とあり,平惟仲みずから建立した白川寺喜多院(寂楽寺)に,石垣荘などとともに当荘も施入されており,当荘は石垣荘など4か所とともに家女藤原済世子ならびに女子の一期の後に院家が領知とするように定められているこれ以降,文献上には下野荘の名称は見られなくなるおそらく藤並荘あるいは田殿荘に併合されたと思われるなお比定地については,石垣荘とともに併記され,平安末期治承4年5月11日の皇嘉門院惣処分状(九条家文書/平遺3913)に「きのくに しもつの」と見えるところから,下津野につながる可能性が考えられる江戸期の慶長検地高目録および「続風土記」のいずれにも下野の地名は見えないが,現在の吉備町下津野付近と推定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7404896
最終更新日:2009-03-01




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