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- 下番村(近世)とは
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![]() | 下番村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 下番村(近世) 江戸期の村名河内国茨田【まつた】郡のうち八番村・九番村・南十番村・北十番村・下島村の総称淀川中流左岸に位置する寛永10年山城淀藩永井氏領,万治元年京都所司代役知,元禄元年幕府領,安永7年大坂城代役知,寛政2年からは幕府領(ただし寛政10年から天保10年は摂津高槻【たかつき】藩永井氏預り地)村高は,河内国輯録では1,482石余,「天保郷帳」では,1,488石余,「旧高旧領」では村名見えず,なお「天保郷帳」には「古者,南十番村・北十番村・下島村・八番村」とある鎮守は八雲神社寺院は真言宗仁和寺末光明寺など7か寺遅くとも江戸期後半には,八番村・南十番村・北十番村・下島村の4か村に正式に分離して消滅なお九番村は遅くとも江戸中期までに北十番村の属村になったという(全志4・五畿内志)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」