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- 新庄村(近世)とは
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![]() | 新庄村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 新庄村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国速見【はやみ】郡八坂【やさか】荘のうち八坂川下流右岸に位置する文禄4年前田玄以領,慶長元年杉原長房領,同4年中津(のち小倉)藩細川領,寛永9年木付(のち杵築)藩小笠原領,正保2年から同松平領元和8年の「小倉藩人畜改帳」では木付廻に属し,給人知行地村高292石余,家数30・人数43,牛10・馬1「正保郷帳」では下八坂村のうちか「見稲簿」244石余,「天保郷帳」「旧高旧領」391石余文久3年の田23町余・畑1町余(工藤家文書)西側の平坦地はかつて海であったが,少しずつ埋立てられて開発され,新庄田井【たい】と呼ばれる平野となったしたがって地下1mで砂層となり,砂層の深さは約70mある平地部は幕府領生桑【いくわ】村から取水する八坂川南用水路を利用し,やや高い台地は,溜池の水を使う本村ははじめ八坂手永,のち八坂郷の新庄組に属した庄屋は初期は富来氏,のち佐藤氏が世襲米作・七島藺を栽培農間余業に七島表(畳表)を織った鎮守は片野村の宝財八幡(元亨元年創立)で,隔年ごとに新庄村に御神幸がある丘陵上に文化6年創立の産霊社があり,普通は妙見様と呼ばれるとくに城下町商人の信仰が厚く,鳥居や燈籠の寄進が多い竜泉庵は明治初年に廃寺となったが寺跡に石祠がある由緒不明丘陵の北端は岡の殿屋敷と呼ばれ館や蔵の跡が残り,付近に五輪塔も多く,近くには馬場・中屋敷などの地名もある屋敷跡の観音堂には,「山城国大仏師増田一覚」と墨書銘のある観音像がある明治4年大分県に所属同8年日明村・野田村と合併して日野村となる現行の杵築市大字日野のうち... |
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