ケータイ辞書JLogosロゴ 財荘(中世)


和歌山県>御坊市

 鎌倉期から見える荘園名。日高郡のうち。「頼資卿記」建保4年3月7日条に「紀伊国財庄・富安・三部三ケ庄 女院御熊野詣大粮為僧正沙汰被定置」とみえ,当荘の年貢などの一部が脩明門院の熊野参詣費用にあてられていたことが知られる。当地は熊野街道にあたり,「経俊卿記」建長6年8月24日条には「今日着財宿,地頭用意宿所并儲,引賜馬一疋〈鹿毛〉,於路次謁姉小路三位,今日越財宿可着上野之由被示之」とあり,参詣を終え帰途についた9月7日条にも「自滝尻着財宿」と見え,また康元2年閏3月25日条に「申刻着財宿」,正嘉元年4月7日条にも「着財宿」と記されている(図書寮叢刊)。乾元2年3月1日の快豪請文写には,「請取,財庄主なとの口木用途事,合壱貫文を本宮,右請取如件」と見え,熊野本宮に当荘から1貫文が納入されている(熊野速玉)。延元4年7月19日後醍醐天皇綸旨には,「熊野山新宮一味衆中」にあて「紀伊国財庄領家職,為当宮日供料所如元可被知行」とあり,熊野新宮が当荘領家職を握っていたことが知られる(小山文書/大日料6‐5)。年欠10月9日通公書状によると財荘から段銭16貫文が,また年欠10月9日の通公書状によれば,年貢銭30貫文が熊野新宮に納められている(熊野速玉)。なお建暦2年2月日の後鳥羽院庁下文に「園宝郷壱処事」と見え,熊野新宮に寄進されているが,園宝郷と当荘との関係は判然としない(同前)。また石清水八幡宮領薗財荘との関係も不詳である。荘域は現在の御坊市湯川町財部付近と思われる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7405218
最終更新日:2009-03-01




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