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「樋口村(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

樋口村(中世)


室町期に見える村名伊都【いと】郡隅田北【すだきた】荘のうち地名としては鎌倉期から見え,建仁元年6月日の沙弥某処分田地坪付案(隅田家文書/県史中世1)の「清村分」...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7406233]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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樋口村(中世)

南北朝期~室町期に見える村名摂津国のうち山城八坂法観寺領文和3年11月3日の如延・常暁連署寄進状(法観寺文書/大日料6-19)に「壱所,津国六庄 樋口村かちし」とあるのが初見で,如延・常暁が法観寺の放牛和尚の塔頭に当村の加地子などを寄進しているその後,室町中・後期のものと推定される摂津国寺社本所領并奉公方知行等目録(内閣文庫所蔵文書/豊中市史史料編1)によると,当村は法観寺領ではあったが,実際には不知行の状態となっていたことがわかる大阪府域かと思われるが,比定地は未詳

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

樋口村(中世)
南北朝期~室町期に見える村名添上郡田原荘のうち大乗院門跡寄所貞和3年2月日付興福寺段銭段米帳(春日大社文書4)に添上郡の大乗院方荘園として「田原庄内和田・樋口両村 二町八反」,応永6年正月18日付興福寺段銭段米帳(同前)にも同様の記載があるまた永享元年の公方御下向段銭方引付(内閣大乗院文書)には「田原庄和田樋口両村〈五丁五反小,一貫九百六十四文〉」と見え,寺門・門跡の段銭などを賦課された現在の奈良市和田町の字樋口が遺称地...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

樋口村(中世)
戦国期に見える村名出羽国仙北【せんぼく】山本郡のうち天正19年頃作成の「仙北郡村数日記写」に,太閤蔵入地に指定された手洗【てたらし】郷39か村のうち,「とよの口むら」とある(色部文書)おそらく梅沢城前の大沼の取水口に小字樋口【とよくち】として地名をとどめる地域に位置した村と推定する近世秋田藩政下では,梅沢村枝郷麓【ふもと】村のうち正保4年検地帳写にも「とよ口」とある(高橋家文書)...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

樋口村(中世)
戦国期に見える村名出羽国秋田郡のうち秋田実季領文禄元年8年22日「秋田家分限帳写」に館岡半兵衛代官所「樋口村」539石余とあるのが初見史料(秋田図書館所蔵文書)「秋田家分限帳」には慶長6年鉄炮衆・鑓衆知行地にひの口村之内17石3件,鎌田旦右衛門代官所「ひの口村」337石余などがある(秋田家文書)近世は広面【ひろおもて】村の枝郷となり,「享保郡邑記」では「とよのくちむら」と読み,家数5...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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