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- 船坂村(近世)とは
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船坂村(近世) 江戸期の村名魚沼郡のうち六箇村7か村の1つ信濃川支流羽根川上流左岸の山間六箇村のうちで最も古い村立てと伝える地名は,ブナ坂ともいうので,ブナの多い坂の意か建長2年開村と伝承されるが,不詳一説に,一村が徳永姓で,関ケ原の戦で徳川氏に従ったのち当地に入ったともいう文禄2年の与兵衛佐某証状(徳永文書)に「ふな坂之地」「ふな坂村」と見える慶長3年検地帳によれば,高2石余(田1反余・畑1反余),家数1・名請人2はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「正保国絵図」8石余,「天和高帳」では六ケ村に含まれ,「元禄郷帳」では船坂村19石余天和3年検地帳では,反別田1町余・畑屋敷1町余,名請人3元禄7年改村鑑によれば,家数3(本家のみ)・人数32,馬4神社は十二社庄屋は置かれず,六箇村を統括する庄屋が麻畑村に置かれた江戸中期に六箇村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることもあったのち十日町市通称十日町の己の地番地域となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
船坂村(近世) 江戸期~明治10年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」