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- 古屋村(近世)とは
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![]() | 古屋村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 古屋村(近世) 江戸期~明治初期の村名牟婁【むろ】郡のうち日置【ひき】川下流の右岸沖積地に位置する「続風土記」には「慶長検地帳には大野古屋村とあり,後分れて二村となる」と記される和歌山藩領御蔵所村高は,慶長検地高目録では「大野 古屋村」と見え大野村と合わせて315石余,「元禄郷帳」「旧高旧領」ともに213石余御高並村名帳によると周参見【すさみ】組に属し,村高213石余うち新田高71石余(南紀徳川史10)「続風土記」では家数40軒・人数161宝暦4年,梵音寺境内に般若蔵が建立され,文政5年,当村の浅右衛門らは同寺境内に三界万霊塔を建立(日置川庶民の歩み)同7年,当村および大野村の商人9人が大野村長寿寺へ銀を寄進(日置町誌)元治元年,和歌山藩の御用金賦課に対し,当村の佐吉は3両を醵出(日置川庶民の歩み)寺院は禅宗臨済派大慈山梵音寺で門前に鎮守の弁財天社がある(続風土記)明治4年和歌山県に所属明治初期に大古村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」