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- 堀口村(近世)とは
「堀口村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 堀口村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堀口村(近世) 江戸期~明治8年の村名県南部,武蔵野台地中央部,狭山【さやま】丘陵山口谷に位置する入間【いるま】郡山口領のうち古くは柳瀬荘に属したという天正19年5月3日の徳川家康朱印状では久松彦左衛門に「百四拾七石 山口之内堀口村」を宛行っている(徳川家康文書の研究)正保~元禄年間に山口村が分村して成立したという「元禄郷帳」「天保郷帳」では山口堀之内村と見える旗本久松氏の知行検地は寛文13年村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに152石村の規模は東西12町・南北3町化政期の家数50軒余高札場は村の中央部神社は天神社で,慶安2年朱印5石を拝領寺院は新義真言宗清照寺地内の小名殿ケ谷は慶長年間まで久松氏が住した地と伝える明治8年新堀村ほか2か村と合併して上山口村となる現在の所沢市大字上山口のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堀口村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 堀口村(近世) 江戸期~明治7年の村名堀ノ口とも書く筑前国那珂郡のうち地名は大友氏の家臣臼杵安房守が当地に堀を通したことにちなむという(地理全誌)福岡藩領「元禄郷帳」「天保郷帳」には記載がなく,「続風土記」「続風土記付録」「博多津要録」では辻村のうちとされているまた,「博多津要録」には西東辻村とも見えるが,西辻村とは当村のことであろう「旧高旧領」の村高85石余明治7年豊富村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」