ケータイ辞書JLogosロゴ 阿賀(中世)


鳥取県>西伯町

 戦国期に見える地名。伯耆【ほうき】国会見【あいみ】郡のうち。正しくは阿賀荘とすべきか。天正19年頃と推定される年月日未詳吉川広家領地付立(吉川家文書/大日古9-1)に「百五十貫 阿賀〈中分共ニ〉」と見える。他に拠るべき史料がなくその具体的な内容は明らかでないが,同付立には当地に南接する新荘地域を指すと推定される「西新庄」が記載されており,当地がもと「阿賀荘」なる荘園であった可能性が大きい。「荘園志料」および「伯耆民談記」「伯耆志」も当地を「阿賀荘」としており,その検証は今後の課題となる。さきの付立によれば,戦国期の当地は上下もしくは南北などに二分されていたようで,「中分共ニ」とはその両者とも吉川広家の領地であったことを意味している。なお,「荘園志料」には「阿賀荘」の領域が「(会見)郡中猪小路,北方,原,小原,新正(荘),上阿賀,下阿賀七村を云ふ」と記されているが,このうち新庄・小原などは「阿賀新荘」のうちとしてこれから除外して考える必要があろう。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7407130
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ