ケータイ辞書JLogosロゴ 赤崎村(近世)


鳥取県>赤碕町

 江戸期〜明治3年の村名。八橋郡のうち。赤崎宿ともいう。鳥取藩領。村高は,拝領高593石余,「元禄郷村帳」679石余,「元文2年村分帳」700石余,「天保郷帳」742石余(うち新田高148石余),「元治郷村帳」751石余。「旧高旧領」では赤崎宿として761石余。元禄の本免は6.0,「元治郷村帳」の物成は352石余。「因伯郷村帳」による藪役は銀5匁,漁運上は銀150匁。戸口は,文久2年「八橋郡手引鑑」475戸・1,862人,「文久3年組合帳」456戸。伯耆街道沿いの宿場町および港町として開け,交通の要路であった。寛永年間には制札場が設けられ,その後船番所も置かれた。承応年間には藩倉が置かれ,八橋郡のうち48か村の年貢米約1万3,000俵を収納。寛文4年には在牢も設けられている。享保10年には在下吟味役居住地となり,御山奉行居住地でもあった。このように,八橋郡の政治・経済の中心であった。宿場町としては早くも寛永14年の宿駅規定に見え(在方御定),以後幕末まで存続した。寛永14年の宿駅規定によれば,隣宿までの里程・駄賃は逢坂まで2里・1匁,倉吉まで4里半・1匁7分,大塚まで1里15町・7匁,赤崎宿の宿賃は主人と馬16文,下人6文。天保・弘化年間には人馬賃銭の5割増を再三願い出ている。幕末期には勝手に宿屋を営む家が多数出てきたので,万延2年,藩は宿屋を周吉・幸十郎・又三郎・金次郎・和四郎・半十郎・為十郎・次右衛門・善十郎・利右衛門後家ちい・助次郎・友三郎・定之助・半四郎・嘉兵衛の15軒のみに定めた(県史13)。ただし,作州(美作国)煙草売りと遠方からの肴仲買人は従来通りの家に宿泊してもよいとしている。当村は港町としても繁栄し,正徳5年の記録では米子・境・浦富・賀露・泊とともに鳥取藩領内六大港として当港の名が見える(県史9)。赤崎港は菊港とも呼ばれ,御蔵や船番所に面し,享保・元文年間頃に大規模な築港が行われ,寛政初年に修築工事が行われている。寛政5年の八橋郡における船舶は202石積・180石積各1隻など189隻を数えるが,その大半は菊港に出入りするものであった。鳥取藩の木綿が他国に売り出されるのは天明2年頃からのことであるが,それは当宿の西紙屋佐兵衛が当地方に多量の木綿を産出することを報告し,三井家の木綿買宿となったことに始まる(赤碕町誌)。寛政年間の三井本店への報告によると,淀江あたりから倉吉・北条・橋津あたりまでの地域で12万反が生産され,そのうち当宿近在2〜3里では2万反が生産された。このうち5万反は西紙屋が扱った。しかし,文政年間には因伯両国で100万反ともいわれるほど木綿生産が発展するにつれて,藩は木綿の統制を強化し,文政元年には国益分を設けて三井本店と西紙屋との直買は停止させられた。数年後に木綿流通統制は中止となり,再び取引きが行われるようになった。木綿は大半は陸路で山口番所を経て岡山に送られたが,天保5年の山口番所の記録によれば,同年1年間に15万反が運ばれ,そのうち5万反余は倉吉の商人清谷屋甚平,2万反余が西紙屋のものとなっている(赤碕町誌)。元禄9年6月に朝鮮人11人が漂着。寛政5年に定められた異国船漂流の際の警備としては,鉄砲22挺を含む191人が配備された。天保13年には150匁玉と100匁玉の大砲各1挺が用意され,嘉永6年には3貫目玉筒3挺,2貫目・1貫目玉筒各1挺が番所に備えつけられ,文久3年には花見潟に台場が建設された。元治元年に台場取締方を命じられた佐伯友光は,代々大庄屋をつとめることの多かった佐伯家の人で,松石と号して漢詩や和歌もよくした。幕末に寺子屋を開いた者には草野恬斎・熊井正夫・池本謙貞がいた。草野は儒医で,元治元年に仙台の岡鹿門がこの地を遊歴した折,最も意気投合した(在臆話記)。氏神は天乃神奈斐神社で,「三代実録」にも記載される古い由緒をもつ。江戸期には津上大明神と称し,藩主の崇敬も篤く祈祷を仰せつかることもしばしばであった。正徳4年8月には藩主池田吉泰が赤崎巡視の折に参詣している。社領5石余。また牛馬の神様として近在の農家の崇敬を得ている神崎神社は須佐之男命を祀り,古くは三宝大荒神と称し,現在も「荒神さん」と親しまれて,毎月28日(旧暦)の祭日がにぎわう。現在の本殿は嘉永6年の建立。天乃神奈斐神社を中の宮,神崎神社を東の宮とするのに対して,西の宮は長山神社で,誉田別命を祀り,通称は「八幡さん」。この八幡宮の前を流れる化粧川にまつわる一休禅師と美女の伝説は,「伯耆民談記」などに記されて有名である。寺院は真言宗智光寺・永福寺,曹洞宗海蔵寺,浄土宗専称寺がある。維新後に廃寺となった福寿院もあった。専称寺は東館池田仲澄の崇敬を受けた。明治3年に赤崎宿と改称する。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7407141
最終更新日:2009-03-01




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