赤崎村(近代)
明治22〜33年の自治体名。はじめ八橋郡,明治29年からは東伯【とうはく】郡に所属。赤崎宿・別所村・松谷村が合併して成立。旧村名を継承した3大字を編成。合併時の戸数は約800。明治24年の戸数683・人口3,467,水車5・船222(徴発物件一覧)。同31年に赤崎・以西【いさい】・成美【なるみ】・安田・上中山・下中山の村組合の船山【せんざん】高等小学校を開設する。同32年12月23日に大海難があり,沈没船数13,溺死者49人。明治初年から信者の多くなりつつあった黒住教が教会所を同25年に赤崎に移転。同33年町制施行。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7407143
最終更新日:2009-03-01