ケータイ辞書JLogosロゴ 稲荷村(近世)


鳥取県>郡家町

 江戸期〜明治22年の村名。因幡【いなば】国八上【やかみ】郡のうち。鳥取藩領。村高は,拝領高397石余,「元禄郷村帳」442石余,「天保郷帳」440石余(うち新田高42石余),「元治郷村帳」453石余,「旧高旧領」456石余。元禄の本免は4.5,「元治郷村帳」の物成は198石余。戸数は,「因幡志」32,「文久3年組合帳」34。寛永9年岡山と鳥取の藩主の国替えの時に岡山からついてきた百姓の何人かが当村にも移り住んだ。したがって檀那寺は,国替えの時岡山から移転した鳥取の曹洞宗森福寺と船岡の真宗光賢寺の2つに分かれている。用水津ノ井井手は東北の下峰寺村から西の門尾村に至る長さ10町余,幅5尺の用水で,田21町歩余を灌漑しているが,門尾村の上から分水して法美郡津ノ井郷7か村(現鳥取市)300町歩にも送っている。通水の季節になると紛議が絶えることなく,文化9年には当村・門尾村・下門尾村と津ノ井谷の村々との用水争論について藩が裁許を下している。この結果,津ノ井谷村へは明六ツ時より暮六ツ時まで通水し,夜水は両門尾と稲荷3か村に落とすことになった(県史10・八頭郡誌)。文化元年の大庄屋に岸本五郎吉の名が見える(郡家町誌)。「因幡志」によれば,氏神は乗戸大明神,阿弥陀を祀る辻堂があり,この辻堂は森山法長寺と号した。乗戸大明神は文化8年土師神社と称す。明治4年鳥取県,同9年島根県,同14年再び鳥取県に所属。同15年の戸数32(郡家町誌)。同22年賀茂村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7407324
最終更新日:2009-03-01




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