ケータイ辞書JLogosロゴ 猪小路村(近世)


鳥取県>西伯町

 江戸期〜明治22年の村名。伯耆【ほうき】国会見【あいみ】郡のうち。鳥取藩領。村高は,拝領高328石余,「元禄郷村帳」328石余,「天保郷帳」363石余(うち新田高34石余),「元治郷村帳」364石余,「旧高旧領」368石余。元禄の本免は4.7,「元治郷村帳」の物成は161石余。戸口は,「伯耆志」40戸・170人,「文久3年組合帳」40戸。北の才ケ峠【さいがだわ】を越せば出雲国の安田関村へ,西の渡田【わたりだ】峠を越せば出雲国の安田宮内村へ,さらに南の二重【ふたえ】峠を越せば出雲国母里【もり】に通じる出雲国境の集落である。渡田峠を通称疱瘡峠【ほうそだわ】というが,藩主池田家の疱瘡平癒祈願所があった。享保4年抜荷改所を置いた(藩史5)。「伯耆志」によれば,林28町余を有し,禁山があり,隣村へは東の北方村へ3町,南の鍋倉村へ20町,西の出雲国境へ15町,北の出雲国境へ3町,産土神は鷺大明神と新庄村にある加茂大明神で,鷺大明神は渡田峠にあり痘瘡に霊験あらたかといわれ,社は方4尺,地内にはほかに小祠11,辻堂4がある。明治3年の御用方諸事手控によれば,戸数41・人数186,耕地面積29町余・山林面積28町余,職人に大工の甚吉・忠吉・長三郎,檜皮職の安蔵・直蔵・喜市の名が見える(西伯町誌)。村民で大庄屋をつとめた者には正徳3年に舟越助次郎の名が見える(同前)。明治4年鳥取県,同9年島根県,同14年再び鳥取県に所属。同22年大国村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7407330
最終更新日:2009-03-01




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