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今在家村(近世) 江戸期~明治8年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
今在家村(近世) 江戸期~明治19年の村名摂津国西成【にしなり】郡のうち幕府領当村は古く「万葉集」巻6の「住吉の粉浜のしじみ開けも見ず隠りにのみや恋ひ渡りなむ」と詠まれている粉浜あるいは粉洲と呼ばれた住吉浦の海浜を開発したことに由来し,粉浜村と称していたが,享徳2年の火災により移転し今在家村・中祭家村(のち中在家村と改称)と称するようになったと伝える(全志3)また「西成郡史」によれば,慶長14年に住吉郡から西成郡に編入されたという村高は摂津高改帳によれば元和2年頃東成【ひがしなり】郡のうちに見え中在家村を合わせた高506石余のうち,摂津草高帳では200石余,延宝5年の検地により261石余といい(西成郡史),「天保郷帳」「旧高旧領」ともに261石余寺院に浄土真宗本派松岸寺がある名称は当時は草庵にすぎなかった同寺付近の岸上のマツに那須与一が馬をつなぎとめたことにちなむと伝え,松岸寺の山号は那須山と称する紀州街道に沿い住吉村と接する地に新家と呼ばれる町があった住吉神社の参詣筋にあることから繁盛し,名物は金魚・蛤・ごろごろ煎餅・竹馬・糸細工などで,街道両側には飲食店が軒をつらねていた(摂津名所図会)明治2年大阪府に所属同9年の人口686同19年粉浜村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
今在家村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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今在家村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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今在家村(近世) 江戸期~明治15年の村名摂津国豊島【てしま】郡のうち箕面【みのお】川下流左岸に位置する麻田藩青木氏領および旗本船越氏知行ただし船越氏知行は寛文10年からは分封により旗本船越2氏の知行村高は、摂津草高帳では651石余,うち青木氏領392石余・船越氏知行209石余および49石余,「天保郷帳」では601石余,「旧高旧領」では563石余,うち青木氏領354石余・船越氏知行209石余なお「旧高旧領」での村高は船越氏知行49石余分が落とされていると考えられるまた当村を2つに分けて,東今在家村・西今在家村と呼んだこともある(五畿内志)鎮守は十二神社同社は天神7代・地神5代を祀るが,明治42年神田の素盞嗚尊神社に合祀された(全志3)寺院は曹洞宗永平寺末正福寺,浄土真宗本派西宝寺・受楽寺明治4年大阪府に所属同9年の人口361同13年,東・西に分かれて呼称されることもあったので,今在家村を公称する同15年同郡内にもう1つ今在家村があったため,当村を北今在家村と改称した... |
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今在家村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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今在家村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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今在家村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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今在家村(近世) 江戸期~明治15年の村名... |
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今在家村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」