ケータイ辞書JLogosロゴ 今長村(近世)


鳥取県>西伯町

江戸期〜明治10年の村名伯耆【ほうき】国会見【あいみ】郡のうち法勝寺川支流の東長田川中流に位置する鳥取藩領村高は,拝領高122石余,「元禄郷村帳」122石余,「天保郷帳」140石余(うち新田高18石余),「元治郷村帳」145石余,「旧高旧領」146石余元禄の本免は4.7,「元治郷村帳」の物成は63石余戸口は,「伯耆志」13戸・52人,「文久3年組合帳」13戸「伯耆志」によれば,林28町余を有し,東部は禁山となっており,隣村へは東の八子【やこ】村へ20町,南の江原村へ10町,西の能竹【のうじく】村へ15町,北の篠相【さそう】村へ5町,産土神は法勝寺村にある八幡宮(実際は馬場村に所在),地内には小祠7,辻堂2があるほかに大田命を祀る田中大明神があり,明治元年田中神社と改称安政3年頃の村民の生活状態を9段階に分類した史料によると,16戸のうち中の下1戸・下の上2戸・下の中2戸・下の下7戸・等外4戸(西伯町誌)明治3年の御用方諸事手控によると,戸数12・人数60,耕地面積12町余・山林面積27町余,職人に大工の善次郎・定市,木挽の与市の名が見える明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同10年篠相村・江原村と合併して中村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7407357
最終更新日:2009-03-01




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