ケータイ辞書JLogosロゴ 宇野村(近世)


鳥取県>羽合町

 江戸期〜明治22年の村名。河村郡のうち。鳥取藩領。村高は,拝領高159石余,「元禄郷村帳」159石余,「天保郷帳」189石余(うち新田高30石余),「元治郷村帳」214石余,「旧高旧領」215石余。元禄の本免は5.5,「元治郷村帳」の物成は96石余。戸数は「文久3年組合帳」137戸。宝暦年間の村の状況は,悪田并定加損16石,塩浜役5石,藪役銀4匁,棟5軒役高100人役,小猟船6艘・鰯網5側・同1側の運上銀それぞれ18匁・65匁・10匁,人数409(禅門1を含む),氏神は三宝荒神,寺は一向宗安楽寺があった(河村郡村々諸事控/近藤家文書)。三宝荒神は素盞嗚尊を祀る氏神で,摂社に恵美須神・八大荒神の2社があった(嘉永3年神社改帳)。古くは一の宮(倭文神社)の末社で,村民は総氏子となった。安楽寺はもと正来院と号し,薬師如来を祀る天台宗の寺院であったが,承応2年2世恵日のとき真宗に改宗し,寺号も安楽寺と改めた。総槻づくりの本堂・鐘楼・山門は,文久2年尾崎文五郎の発願により建立された。当村は田畑が少ないため古くから捕漁・網すきを生業としてきた。享保7年には橋津村との間で灘境をめぐり境争論が発生(県史9)。また新浜の村境が明らかでなかったため,天保2年にも同村漁民と鰯干場をめぐり紛争があった。天保15年には近年の塩浜稼の難渋を理由に塩浜役の減納を求め,従来の上納高5石のうち4石5斗の免除が認められた(県史12)。嘉永6年3月にはホタテガイが多量に発生したため,小浜・石脇・宇谷の各村とともに農業肥料用の貝漁の許可を求め,承認された(同前)。安政3年8月には,泊村とともに近辺で買い集めた葉藍のうち残分1,500貫ほどを丹州へ津出ししたい旨を願い出た(同前)。明治4年鳥取県,同9年島根県,同14年再び鳥取県に所属。明治3〜4年因伯の沖合に板屋貝(ホタテガイ)が大発生し,鳥取藩は灘筋の村々に御趣向座を設け,地元有力者に干身請をさせたが,同4年8月宇野分尾崎控の干身箱詰入用書上控によれば干身請分7万2,353余斤,この代金1,821貫925匁,内箱詰1,445箱にのぼった。同22年橋津村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7407473
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ