ケータイ辞書JLogosロゴ 大坂郷(古代)


鳥取県>気高町

 平安期に見える郷名。「和名抄」因幡【いなば】国気多【けた】郡七郷の1つ。気多郡家の所在地。郷域は逢坂谷と呼ばれる地域で,気高【けたか】町のうちの旧逢坂村に気高町下原・八幡・八束水【やつかみ】,鹿野町小別所を加えた河内川以北,東西約1km・南北約6kmの細長い河合平野の一帯。大坂の郷名は,大坂郷から西の日置郷に通じる官道が,大坂郷と日置郷の境界をなす山地を越える長い坂道に由来するものと考えられる。郷域内の条里制施行は史料には見られない。しかし,天保14年の田畑地続全図や地籍図,空中写真で見ると気高町殿〜上原付近の段丘面の水田地帯で,条里遺構と推定される方格地割が明瞭である。地籍図を見ると気高町殿で「八反田」「塚原」「壱町坪」「九反田」「練ケ坪」,下石【おろじ】で「五反田」「八反田」「四反田」「縄手下」「六反田」,飯里の「里」「大縄」「七反坪」,上原で「柿ケ坪」「壱町田」などが検出される。条里制施行を示す明確な数詞坪付地名はないが,数詞坪付地名の転訛と考えられるものもある。それらを考えると西南隅を1の坪,西北隅を36の坪とする千鳥式の坪並が施行されていたことも想定できる。気高町上原に上原廃寺跡が報告されていたが,近年の発掘調査で気多郡家跡に比定されている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7407533
最終更新日:2009-03-01




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