ケータイ辞書JLogosロゴ 尾際村(近世)


鳥取県>佐治村

 江戸期〜明治22年の村名。智頭郡のうち。鳥取藩領。村高は,拝領高77石余,「元禄郷村帳」77石余,「天保郷帳」97石余(うち新田高19石余),「元治郷村帳」105石余,「旧高旧領」113石余。元禄の本免は4.3,「元治郷村帳」の物成は36石余。戸数は,「因幡志」40,「文久3年組合帳」31。「因幡志」によれば,枝村に北村・上ノ段があり,氏神は牛頭天王,ほかに辻堂がある。美作【みまさか】国境まで1里,国境から倉見村(美作国)まで1里余あり,この間の山路は難所で牛馬の通行は不可能。平地が少なく水田も山田が多い。元来,畑作・山地利用が進み,漆液・木蝋・独活・蕨・葺板などの物産が有名であった(稲葉民談記)。村の北方に北谷(尾際谷)があり,その西側山腹のブナ林中に木地屋敷の跡がある。木地師の墓もあり,その1基に「茂林浄好信士,宝暦十三年未三月十五日」と刻まれ,また菊の紋章を刻んだ墓もある。木地屋は付近一帯の山中で木地製品を生産した(因伯の木地屋)。明治4年鳥取県,同9年島根県,同14年再び鳥取県に所属。明治12年4月,大水小学校の分校として尾際分教場が設置された。同15年の戸数は34(八頭郡誌)。同22年上佐治村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7407779
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ