ケータイ辞書JLogosロゴ 尾際(近代)


鳥取県>佐治村

 明治22年〜現在の大字名。はじめ上佐治村,明治43年からは佐治村の大字。明治24年の戸数36・人口187(徴発物件一覧)。同34年5月,尾際分教場の校舎を字落合に新築移転した。同43年の戸数36,大正9年の世帯数37。同年2月と同11年11月の2回,大町桂月芳衛氏が猿渡り峡谷を探訪「山陰の耶馬渓」と激賞,世に紹介した(因伯時報)。昭和21年の世帯数45・人口308。同23年12月新しい学制発足を機に尾際分教場を佐治第四小学校に昇格,児童数は95名。同49年3月31日,村内4校を1校統合のため閉鎖廃校。昭和35年の世帯数78・人口370,農家数37・農業従事者47,耕地は水田87反・畑50反・果樹園11反,牛は21頭であった。同44年の葉タバコの耕作は61.6a。昭和40年9月台風により佐治川流域は決壊・流失が多く大被害が出た。同42年に着工された治水ダムは同47年3月に完成,佐治川の治水に大きな役割を果たし,観光資源としても役立った。同50年の世帯数68・人口268,農家数31・農業従事者15人,耕地は水田60反・果樹園5反,誘致小工場・建設工事現場につとめる兼業農家が急増した。当地は鳥取電灯供給区域より2里余り山奥のため,大正15年5月自家用電灯組合を設立,椀木地用水車に繋索した5馬力・3kwの発電を18世帯に配給するよう申請し,同日許可されている(鳥取新報)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7407780
最終更新日:2009-03-01




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