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金谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
金谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
金谷村(近世) 江戸期~明治21年の村名豊前国下毛【しもげ】郡のうち金屋とも書いた山国川右岸に位置する古くは大江岡と称されたところで,中世は荒巻荘に属したという建久8年4月23日,宇佐宮社僧が,吉用に向野郷内田畠「荒巻三段」を譲っているが,これが当地と考えられる(到津文書26/県史料1)地名は元和年間藩主細川忠興が中津城下建設の際,大江岡を崩して宮永に金谷堤を築造する時,当地に金屏風を立てて本営としたことから,金屋と書いたと伝える天正15年黒田領,慶長5年中津(のち小倉)藩細川領,寛永9年中津藩小笠原領,享保2年からは同藩奥平領蠣瀬【かきぜ】組高畑村のうち村高は「元禄石高帳」9石余,「天保郷帳」21石余,「旧高旧領」22石余幕末には当村庄屋が,槻ノ木・津民【つたみ】・福土【ふくど】・柿坂など山間部の村を支配していた津民大庄屋に代わって金谷組と称する大庄屋になっている当村は中津城南郭外にあることから下級藩士の屋敷地(上小路と称した)があり,当村と下宮永村との間の狭長な土地が村支配であった明治4年小倉県,同9年福岡県,同年大分県に所属同21年7月下毛郡中津町となる現在の中津市中津地区のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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