ケータイ辞書JLogosロゴ 久連村(近世)


鳥取県>江府町

 江戸期〜明治22年の村名。伯耆【ほうき】国日野郡のうち。鳥取藩領。村高は,拝領高87石余,「元禄郷村帳」87石余,「元文2年村分帳」126石余,「天保郷帳」146石余(うち新田高58石余),「元治郷村帳」162石余,「旧高旧領」166石余。元禄の本免は6.1,「元治郷村帳」の物成は82石余。戸口は,「元文2年村分帳」30戸余,「伯耆志」29戸・160人,「文久3年組合帳」28戸。「伯耆志」によれば,産土神は妙見宮で,社地は東西40間・南北30間,社は方4尺5寸,祭日は9月29日,ほかに小祠8・辻堂1がある。江尾村との間に日野川渡舟をもち,官許を受け運上銀を上納していた。船頭の渡し守給は村方でまかない,一般利用者は無料であった。産業では,鉄山経営が行われ,明治に至るまで続き,天保の頃の経営者は,黒坂村の緒形氏,根雨村の近藤氏で村方でも農間に鉄山稼ぎをし,運上銀にあてた(徳岡家文書)。地内の開田は享和2年頃から急速に進み,そのために田ごやしにする草山をめぐり,上流の隣村洲河崎村との山論が繰り返され,鳥取表から役人が出張する騒動が起きている(徳岡家文書)。万延2年の調査によると,天保14年〜慶応元年に医者徳岡秀仙が寺子屋を開き,男子生徒10人が学んでいた(藩史3)。明治4年鳥取県,同9年島根県,同14年再び鳥取県に所属。同22年江尾村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7408258
最終更新日:2009-03-01




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