ケータイ辞書JLogosロゴ 郡家村(近世)


鳥取県>気高町

 江戸期〜明治22年の村名。因幡【いなば】国気多【けた】郡のうち。鳥取藩領。村高は,拝領高225石余,「元禄郷村帳」258石余,「天保郷帳」269石余(うち新田高44石余),「元治郷村帳」272石余,「旧高旧領」272石余。元禄の本免は4.9,「元治郷村帳」の物成は120石余。戸数は,「因幡志」25,「文久3年組合帳」29。氏神は新宮村にある新宮大明神,辻堂の本尊は観音(因幡志)。草山入会争論が,元文5年には会下【えげ】・高江・八幡・下原の4か村とともに養郷村との間で起き,宝暦2年には山宮村との間で起こった(県史9)。文化11年夏,水田の一部が干害にあう(県史10)。明治4年鳥取県,同9年島根県,同14年再び鳥取県に所属。明治8年会下小学校が当村に開校し,高江・会下・下原の3か村とともにその校区となった。同22年逢坂村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7408317
最終更新日:2009-03-01




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