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- 駒崎村(近世)とは
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駒崎村(近世) 江戸期~明治13年の村名下総国千葉郡のうち江戸初期には葛飾郡のうちとも見える村田川下流右岸の低平地とそれに続く舌状台地上に位置する中世椎名氏の居城である椎名城の本丸は字椎名台と推定される椎名下郷に属す天正18年から西郷氏領,元和6年から幕府領,寛永5年から生実【おゆみ】藩領村高は,寛永5年「小弓領郷帳」(旧森川家文書/千葉市史史料編3)・「元禄郷帳」ともに153石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに154石余享保8年田畑壱人別帳によれば,反別田7町5反余・畑5町余・屋敷3反余安政2年書上帳によれば,家数9・人数61,馬4文政3年の年貢取米130俵余椎名下郷は刈田子・谷津・駒崎3か村からなり,名主役は3か村兼帯で輪番であったと思われる田畑所有も混交しており,諸争論に際しても椎名下郷として一体で行動している(刈田子町有文書/千葉市史史料編3)泉谷水論,内野秣場争論,助郷騒動等に参加明治6年千葉県に所属明治13年椎名崎村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」