ケータイ辞書JLogosロゴ 酒津村(近世)


鳥取県>気高町

 江戸期〜明治22年の村名。因幡【いなば】国気多【けた】郡のうち。鳥取藩領。もとは母木【ほうぎ】村の枝郷であったが,享和3年新田として幕府に届出,天保5年新田村として分村した(藩史5)。村高は,「天保郷帳」48石余(うち新田高13石余),「元治郷村帳」49石余,「旧高旧領」49石余。元禄の本免は5.4,「元治郷村帳」の物成は25石余。戸数は,「因幡志」170,「文久3年組合帳」189。田地がなく,漁師と職人・商人を中心とする村であった(勝見名跡志)。文化元年12月20日大火が起き,類焼家屋は101軒,内訳は猟師47・船乗12・商人34・職人6・百姓2(県史10)。主な漁獲物は鯛・コチ・鯖・牡蠣・石決明【あわび】・サザエ・蛤などであるが(稲葉民談記),漁獲高は一定せず,享保16年正月には不漁のため運上油が調達できず,銀納が許されている(県史9)。また元文6年6月には隣村の母木村と引網をめぐって口論が起き,村役人が閉門となっている(県史9)。氏神は奥沢見村にある板屋大明神。ほかに因幡観音霊場27番札所で観音を本尊とする観音堂,また弁天社がある(因幡志)。明治4年鳥取県,同9年島根県,同14年再び鳥取県に所属。明治7年酒津小学校が開設,生徒数37(男32・女5),教員数2,授業料月46銭9厘(県史近代5)。同12年の戸数206・人口986(男515・女471),船191(共武政表)。同22年市制町村制施行により単独で自治体を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7408443
最終更新日:2009-03-01




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