ケータイ辞書JLogosロゴ 下浅津村(近世)


鳥取県>羽合町

 江戸期〜明治22年の村名。伯耆【ほうき】国河村郡のうち。鳥取藩領。村高は,拝領高564石余,「元禄郷村帳」640石余,「天保郷帳」675石余(うち新田高110石余),「元治郷村帳」681石余,「旧高旧領」683石余。元禄の本免は5.5,「元治郷村帳」の物成は358石余。戸数は「文久3年組合帳」64。宝暦年間の村の状況は,悪田加損13石,池役7石,藪役銀8匁2分,棟5軒役高10人役,草苅船30艘・かんこ船2艘の運上銀がそれぞれ34匁8分・3匁,人数250(禅門比丘尼7を含む),氏神は荒神,寺は浄土真宗香宝寺があった(河村郡村々諸事控/近藤家文書)。なお,嘉永3年の神社改帳によれば氏神は猿田彦命を祀る梶屋(鍛冶屋)大明神で,摂社に三宝荒神・若宮・祝神の3社があったとする。社地の近くに鍛冶屋敷の小字が残り,祝神も刀鍛冶の崇敬神であることから,ここに名匠一の宮鍛冶の一族が住んでいたと考えられる。香宝寺は永正元年蓮如上人の弟子廓堂が創建したと伝えられる。安永9年,13世昭空のとき火災のため本堂をはじめ,すべての建物を焼失。14世大灯は国方諸宗寺院筆頭ならびに本山触頭国方御役所直触となり,享和2年本堂を再建,その費用1,200両を石見銀山(島根県)から全檀家を抵当に入れ借入した。香宝寺開山以来,村民のほとんどが真宗門徒で,位牌や墓を作らない風習がある。文政5年8月,東郷池での大網敷使用をめぐり,当村ほか5か村と松崎町との間に争論が起こった(県史10)。文久2年にも,当村伊三郎が松崎町の者と申し合わせ東郷池川口へ大持網を差し入れたことから川下の橋津ほか3か村から訴訟が起こった(県史13)。明治4年鳥取県,同9年島根県,同14年再び鳥取県に所属。明治5年,氏神は摂社を合祀して梶屋神社と改称。同22年浅津村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7408556
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ