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- 下大江村(近世)とは
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下大江村(近世) 江戸期~明治9年の村名下太江とも書いた(元禄郷帳)中通り北部,安達太良【あだたら】山東麓,本宮盆地の北部に位置する安達【あだち】郡のうちはじめ会津領,寛永20年からは二本松藩領玉井組に属す検地は元禄10年村高は,宝暦10年の高辻帳では1,025石余,「天保郷帳」1,252石余,「旧高旧領」1,168石余元禄11年の家数81軒・人数446,馬68(添田文書)享保21年の玉井組明細書上では家数100軒文久2年の玉井組人別惣寄帳では家数61軒・人数291,馬36文政11年の大積覚書帳によれば畑作物の割合は大豆・小豆が4割,桑が5分,ダイコン・ソバ・油荏が2割5分,ほかに農間余業として葉萱があげられている寺院は真言宗来迎寺明治9年上大江・大江新田村と合併して大江村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」