ケータイ辞書JLogosロゴ 下坂本(中世)


鳥取県>気高町

 戦国期に見える地名。因幡【いなば】国気多【けた】郡のうち。元亀2年と推定される年未詳9月5日の久芳賢直あて武田高信書状(萩閥3)に,「因州上下就御辛労候,下坂本参百五拾石進置候,於有御知行者可為本望候」と見えるのが初見。これは鳥取城の武田高信が久芳賢直の毛利氏との間の往復斡旋の労をねぎらうため宛行ったもので,天正元年と推定される年未詳12月25日吉川元春書状(同前)において,吉川元春もまたこれを追認している。「家久君上京日記」天正3年6月18日条(鹿児島県史料拾遺25)には「其(吉岡)より行てけたの郡(気多郡)下坂本の小庵に一宿」とある。また同5年12月21日毛利豊元宛行状(旧大谷村百姓作左衛門文書/県史2)において,姫地玄蕃允は下坂本のうちにおいて2反の田地を宛行われている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7408587
最終更新日:2009-03-01




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