ケータイ辞書JLogosロゴ 下光元村(近世)


鳥取県>気高町

 江戸期〜明治22年の村名。因幡【いなば】国気多【けた】郡のうち。鳥取藩領。村高は,拝領高747石余,「元禄郷村帳」851石余,「天保郷帳」950石余(うち新田高103石余),「元治郷村帳」893石余,「旧高旧領」904石余。元禄の本免は5.2,「元治郷村帳」の物成は395石余。戸数は,「因幡志」68,「文久3年組合帳」71。氏神は新宮大明神と楯大明神で,新宮大明神の祭日は9月9日。ほかに母木【ほうぎ】村大竜院持ちの観音堂と阿弥陀・観音をそれぞれ本尊とする辻堂がある(因幡志)。安政6年7月,常松村とともに二本木村と農業用水の水利権をめぐって争論がおきる。光元谷奥部の河内川の支流末用川(羽田川)の水をめぐって,河内川左岸の二本木村が引水をしようとしたため,河内川右岸下流側の両村との間に争論が起こった(県史12)。明治4年鳥取県,同9年島根県,同14年再び鳥取県に所属。同22年光元村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7408638
最終更新日:2009-03-01




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