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- 関荘(中世)とは
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![]() | 関荘(中世) 戦国期に見える荘園名越後国頸城【くびき】郡のうち中郷村安楽寺の方便法身像裏書に「永正十六年己卯八月十五日 勝願寺門徒 越後国頸城郡関庄大鹿村」とある(新井市史上)当荘の比定地については明証を欠くが,「頸城郡誌稿」は「高田城菩提が原辺(現上越市)ヲ云フ」,「中頸城郡誌」は「高田城址より関山(現妙高村)・関川(現妙高高原町)辺」とし,また「温古の栞」では「高田辺より直江津迄(現上越市)」,「荘園志料」は「高田辺」としている戦国期に関川左岸一帯の地域名称として使用されたものらしいなお,永正10年と推定される8月8日付桃渓庵宗弘書状によれば長尾為景は上杉定実に与同する信濃衆が「関口」から越後に侵入するにつき,中条藤資に防備を固めさせている関口は「関口事,信州よりハ境一口」といわれ,現在の妙高村関山付近と考えられる(反町三浦和田中条文書) |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」