ケータイ辞書JLogosロゴ 田後(近代)


鳥取県>羽合町

 明治22年〜現在の大字名。はじめ長瀬村,昭和28年からは羽合【はわい】町の大字。明治24年の戸数169・人口858,水車1(徴発物件一覧)。昭和25年の世帯数213・人口1,006。近世以降菅笠の大産地となった当地では明治30年田後製笠合資会社,大正4年有限責任田後販売購買組合を設立し販路の拡大に努めたが大正末期以後は生産量が減少した。菅笠の製造戸数・枚数は,明治39年131・7万7,452。大正14年120・4万1,420。昭和10年の製造枚数は3万1,210。養蚕の最盛期を迎えた大正末期に橋本常次郎らが田後に昭江乾繭株式会社を設立,昭和5年の乾繭量5万貫余。当地は早くから農民運動が活発で,大正13年入江勇太郎を組合長とする田後小作人組合が結成され,昭和2年には東伯小作連合会と合流し小作料減額要求運動を続けたが同3年当地内の小作地に対し地主が立毛差し押えを強行したことから抗争が起こり,連合会長門田定蔵らの幹部10数名が検挙された。大正14年に賀川豊彦が,同15年に吉田賢市が,昭和2年に労農党党首大山郁夫が相ついで当地に来た。同31年新天神橋竣工。同40年国道9号改築工事が完成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7408883
最終更新日:2009-03-01




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