ケータイ辞書JLogosロゴ 寺内村(近世)


鳥取県>会見町

 江戸期〜明治22年の村名。伯耆【ほうき】国会見【あいみ】郡のうち。鳥取藩領。村高は,拝領高292石余,「元禄郷村帳」292石余,「天保郷帳」335石余(うち新田高42石余),「元治郷村帳」336石余,「旧高旧領」339石余。元禄の本免は4.1,「元治郷村帳」の物成は132石余。戸口は,「伯耆志」37戸・176人,「文久3年組合帳」38戸。「伯耆志」によれば,林6町余があり,隣村は東の天万村へ5町,南の浅井村へ5町,西の清水川村へ6町,北の三崎村へ3町,産土神は天万村の太神宮で,小祠10・辻堂4がある。享保9年には入会山である荻名村大谷山をめぐって当村ほか10か村と星川谷村ほか9か村との間に柴草山入会争論があった(県史9)。寛延3年には岩坪山の原山をめぐって当村ほか2か村と清水川村とが山論を起こし(同前),この山論は文化8年にも再燃している(県史10)。手間山山頂に大穴牟遅命・刺国若比売命を祀った赤猪権現があったが,明治元年赤猪神社と改称。また,地内屋敷に鎮座する久清神社(祭神素盞嗚命・稲田姫命)があった。明治4年鳥取県,同9年島根県,同14年再び鳥取県に所属。同22年手間村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7409024
最終更新日:2009-03-01




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