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「天神町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
天神町(近世~近代)
江戸期~現在の町名明治6年から1~2丁目がある江戸期は米子城下十八町の1町もとは片原町と称したが,安政4年に改称米子城の北,城下を流れる旧加茂川下流の左岸に位置...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7409033]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 天神町(近世~近代) 江戸期~現在の町名明治19~22年3月は松江天神町江戸期は出雲国意宇【いう】郡のうち松江城下の町名の1つ天神川の北側に位置し,寺町の西に隣接する町名は南端に鎮座する白潟【しらかた】天満宮に由来し,門前町として発展白潟天満宮は慶長年間,富田【とだ】より遷座し以後藩主の信仰が厚かった例祭は毎年6月25日(旧暦)で,「出雲鍬」は「童子共相撲の警固夜に入りて踊りを催す参詣の人々門前に市をなす」と記す天満宮社前の広場には番所が置かれ,城下の南関門として警固していた安永8年の当町の戸数226,安政5年の戸数240文化8年以降,防火組は竜吐水組に属し,火消夫20人を常備した明治4年島根県に所属同9年の世帯258・人口987同22年からは松江市の町名同年の戸数241・人口971,大正12年の戸数161・人口960,昭和13年の戸数139・人口896明治7年当町と白潟本町に山陰で初の夜店市が開かれ,また芝居小屋・映画館の草分けでもあるハイカラ館なども建てられ,松江随一の歓楽地となり,明治末期には,松江銀座と称されるようになった昭和30年の世帯148・人口790,同35年の世帯156・人口761,同40年の世帯145・人口657 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 天神町(近世~近代) 江戸期~現在の町名江戸期は姫路城下の1町町人地明治初年~明治22年は姫路を冠称姫路城の南東,外京口門の東,外濠の外側町名は,市之郷村松本天神の神領地であったことに由来する(市制三十年姫路市史)西神屋町の東に連なる山陽道筋の町屋元禄11年姫路城下図(県立歴史博物館蔵)にその名が見える元文5年の家数65,地子銀289匁(穂積家文書)真宗大谷派善休寺の創立は約300年前という明治14年の戸数91・人口345,宅地5,099坪(播磨国地種便覧)同22年姫路市に所属大正3年日本毛糸紡績姫路工場が設置され,昭和元年の工員2,408人,生産額4,650万円で,当時としては大規模な工場であった(会議所五十五年史)第2次大戦のとき川西航空と改称,戦災により壊滅跡地はニュータウンとなり,公共施設,ショッピングセンター・レジャー施設・住宅などに変貌大正元年の戸数119(姫路紀要)世帯数・人口は,昭和2年125・983,同35年96・386大部分が,昭和52年幸町・城東町京口台,同56年京口町・神屋町1~6丁目となり,現在当町はJR播但線の軌道敷を残すのみ... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 天神町(近世~近代) 江戸期~現在の町名間之町通花屋町下ルの町南北に走る間之町通をはさむ小街で,北は花屋町通,南は上珠数屋町通町名は町内西側に文子天満宮があったことによるという(坊目誌)同社祭神は菅原道真で,洛中二十五神の1つ慶長以後の勧請と推定され,天明・安政・元治の大火により類焼(同前)町内東側には真宗大谷派の西宗寺,西側には同宗光久寺がある西宗寺は寛永7年11月僧了空の開基,光久寺は寛永2年1月僧長順の開基(府地誌)ほかに江戸期町内には永正10年僧了円開基の真宗大谷派即成寺があった同寺は寛永7年に当地に移転し,天明以来2度の火災によって類焼している明治5年2月1日廃寺となったが,同12年3月再興された(坊目誌)江戸期は東本願寺寺内町の古屋敷明治2年の町組改正より下京【しもぎよう】17番組,同5年第25区と改称,同25年第25学区に編成明治12年下京区天神町,同22年京都市下京区天神町となり現在に至る明治44年の世帯数75・人口260,昭和40年の世帯数51・人口213人口増減率(昭和40~50年)28.2%減... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 天神町(近世~近代) 江戸期~昭和50年の町名古河城下のうち地名は,地内の天満宮に由来するという武家地「古河旧記」によれば,町筋は日光街道の西に並行にのび,長さ1町14間2尺・幅2間2尺,安永5年日光社参の改では,当時の天神町は不分明で,地福院脇木戸際から折れ曲り,紺屋町理右衛門前までを古来の間数に引き当て24間としている(藤懸家文書/古河市史)明和5年11月当町から出火し,弐町目・横町・紺屋町・石町・鍛冶町などに及ぶ大火となった(新井家文書/古河市史)寺院は真言宗地福院なお当町は,明治22年から古河町古河,昭和25年からは古河市古河に含まれ通称町名となっていた同31年の世帯46・人口206同50年住居表示実施により,古河市横山町1丁目となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 天神町(近世~近代) 江戸期~昭和39年の町名・大字名滋賀郡のうち昭和26年からは膳所【ぜぜ】を冠称江戸期は膳所城下町別保【べつぽ】村のうち地名は天満宮があったことによる明治5年滋賀県に所属同22年膳所村大字別保の小字となり,以後小字名として存続,昭和8年には大津市膳所別保町の小字となる昭和26年膳所を冠称し大津市の町名となり,同39年杉浦町の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」