ケータイ辞書JLogosロゴ 浜村(近世)


鳥取県>気高町

 江戸期〜明治22年の村名。因幡【いなば】国気多【けた】郡のうち。鳥取藩領。村高は,拝領高220石余,「元禄郷村帳」220石余,「天保郷帳」242石余(うち新田高22石余),「元治郷村帳」247石余,「旧高旧領」258石余。元禄の本免は5.4,「元治郷村帳」の物成は129石余。戸数は,「因幡志」58,「文久3年組合帳」73。「因幡志」によれば,小谷村の北隣1町,湯村へ18町,氏神は勝宿大明神で,祭日は9月21日。浜村川河口の半農半漁村で鯛・コチ・鯖・牡蠣・アワビ・サザエ・蛤などの漁獲がある(稲葉民談記)。元禄3年藩の御蔵(灘手蔵)が設けられ,気多郡のうち東構・中構に属する村々の貢納米が収納され,その量は6,000石・1万5,000俵であった(藩史4)。ここの貢納米は,藩士の扶持方米が不足するときは,その不足分を補ったが,そのほかは海路,下関・瀬戸内海経由で大坂へ廻漕された。このため浜村川河口付近に船手番所がおかれ船手事務をつかさどった。文政2年3月7日能登国の船が当村沖で破船した(県史10)。安政5年郡役所が設置された(藩史5)。万延2年3月25日出火,類焼多く建築用の木材が不足し,4月27日鳥取から津出しすることが認められた(県史13)。明治4年鳥取県,同9年島根県,同14年再び鳥取県に所属。明治10年宮川村を合併。同12年の戸数89・人数432(男225・女207),牛14,船28(共武政表)。同16年鳥取〜米子間の道路改修で,これまでの海岸沿いの道(浜路)から浜村砂丘内側を通る道路に改修された。同17年集落の西の新しい道路沿いの地域で温泉が発見される。同22年正条村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7409501
最終更新日:2009-03-01




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