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福谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
福谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
福谷村(近世) 江戸期~明治10年の村名因幡【いなば】国高草郡のうち湖山池の南西岸約2kmにあり,鷲峰【じゆうぼう】山・毛無山山系の丘陵列末端にある谷口に位置する一帯は,ゆるやかな傾斜地で長柄【ながら】川沖積地に続く水田地帯鳥取藩領村高は,拝領高62石余,「元禄郷村帳」62石余,「天保郷帳」69石余(うち新田高6石余),「元治郷村帳」66石余,「旧高旧領」69石余元禄の本免は6.0,「元治郷村帳」の物成は30石余戸数は,「因幡志」5,「文久3年組合帳」4天保4年に,福井村の辛川谷をめぐり,岩本村・六段田村・大畑村・大谷村・当村と,辛川谷に新田を開いた左吉の子孫岩右衛門や福井村との間で争論が起き,各村間で一札を取りかわしている(県史11)「因幡志」によれば,隣村へは西の大畠村へ3町余,南の長柄村へ7町,北の大谷村へ7町,氏神は荒神また,七本松という古松があり,その周囲1丈5尺余というこの松は,根元より1丈くらい上が二俣に分かれ,さらに1丈くらい上で上手の枝が3俣,下手が4俣に分かれているので七本松と呼んだ後に落雷により枝が1本折れたため六本松と呼ばれていたが,明治30年頃伐採された(湖南誌)明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同10年大畑村に合併... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
福谷村(近世) 江戸期~明治10年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
福谷村(近世) 江戸期~明治8年の村名石見国鹿足【かのあし】郡のうち江戸期は津和野藩領津和野川上流,福谷川との合流点東方の渓谷低地を中心とする南は長野村と接する慶長7年検地では長野村に所属「万手鑑」による村高は元和年間106石余,寛永14年検地では146石余「石見国高郷村帳」「天保郷帳」には村名の記載がない中世土豪居住に関係する屋形ケ迫・山下などの小地名がある河内社がある明治初年の戸数19・人口87(万手鑑)同8年長野村と合併,長福村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
福谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」