ケータイ辞書JLogosロゴ 光元保(中世)


鳥取県>気高町

 室町期から見える保名。因幡【いなば】国気多【けた】郡のうち。明徳5年7月1日弾正忠長氏寄進状(前田家所蔵文書/大日料7-1)に「奉寄進 南禅寺慈聖院因幡国気多郡光元保下村内戸嶋村之事」と見えるのが初見。「建内記」嘉吉3年5月16日条(大日古)にも「因幡光元保年貢事,自宝慈院(秀仁)雖催促,相構於当年者不可有楚忽之沙汰之由,以次示了」と見える。これらの史料から,当時光元保が上・下に分かれ,下村の一部(戸嶋村)が南禅寺領であったこと,その実際の支配は守護山名氏の請負いとなっていて(県史2),年貢収取が困難となっていたことなどを知ることができる。「荘園志料」はその領域を「光元(下光元カ),戸嶋,馬場,塚手,西分,広木六村」としている。なお,下村に対応する上村を史料によって確認することはできない。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7409976
最終更新日:2009-03-01




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