ケータイ辞書JLogosロゴ 南谷村(近世)


鳥取県>羽合町

 江戸期〜明治22年の村名。伯耆【ほうき】国河村郡のうち。鳥取藩領。村高は,拝領高116石余,「元禄郷村帳」116石余,「天保郷帳」167石余(うち新田高50石余),「元治郷村帳」183石余,「旧高旧領」184石余。元禄の本免は4.7,「元治郷村帳」の物成は79石余。戸数は「文久3年組合帳」47戸。宝暦年間の村の状況は,悪田加損10石,池役銀35匁,藪役銀2匁3分,棟2軒役高40人役,人数114(禅門1を含む),小早船1艘・かんこ船4艘があり,この運上銀8匁5分,氏神は天満天神(河村郡村々諸事控/近藤家文書)。「藩史」5によれば当村には渡船場があった。安政4年より東郷池での大持網使用をめぐり同池河口の松崎町・下浅津村との間に争論があったが,文久2年8月,当村および橋津・赤池・上橋津4か村の漁業不漁の主張が藩に聞き入れられ,先の2か村の大持網使用は禁止された(県史13)。明治4年鳥取県,同9年島根県,同14年再び鳥取県に所属。同22年浅津【あそづ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7409996
最終更新日:2009-03-01




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