ケータイ辞書JLogosロゴ 宮吉(中世)


鳥取県>気高町

戦国期に見える地名因幡【いなば】国気多【けた】郡のうち永禄7年と推定される年未詳9月3日の小寺元武あて毛利元就書状(萩閥2)に「去廿三日,但州衆至徳吉陣替候而,大坂,宮吉可被相動之由候,就其小 木工,山 平其外其方已下,至宮吉入城之由候」と見える山名祐豊等但州衆が徳吉に陣替えし,また南条宗勝等伯州衆が宮吉に入城したのを受けて,毛利元就が小寺元武に宮吉に入城するよう命じたのがこの文書であるこの後,宮吉城は再挙した尼子党によって奪われ,その重要拠点として田公新右衛門,子の新介らが籠城していたが,天正4年2月6日毛利元康・杉原盛重らによって再び攻め落とされた(県史2)年未詳2月9日吉川元春寄進状に「今度宮吉之儀,頓落去得大利候之段,御神慮迄候,仍青銅三百疋進納候」と見えるのは,この天正4年の際のものと考えられる(加知弥神社文書/県史2)当地は近世以後富吉と呼ばれる現在の気高【けたか】町富吉地域に比定できよう
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7410044
最終更新日:2009-03-01




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