ケータイ辞書JLogosロゴ 八幡村(近世)


鳥取県>気高町

 江戸期〜明治22年の村名。因幡【いなば】国気多【けた】郡のうち。鳥取藩領。村高は,拝領高485石余,「元禄郷村帳」485石余,「天保郷帳」485石余,「元治郷村帳」466石余,「旧高旧領」525石余。元禄の本免は4.8,「元治郷村帳」の物成は202石余。戸数は,「因幡志」18,「文久3年組合帳」17。「因幡志」によると,南の高江村から8町,東の湯村より8町で,西に浜屋という出村がある。元文5年会下【えげ】・下原・高江・郡家【こおげ】の逢坂谷4か村とともに,養郷村との間に草山入会争論が起きたが,これは養郷村牓示の地域で逢坂谷5か村が草刈りを行ったことによる。藩は,まず自村牓示の草刈りを行った上で不足のときに養郷山の草刈りを認める,と裁許した(県史9)。氏神は八幡宮で,祭日は8月15日,社領は4石1斗2升,ほかに阿弥陀を本尊とする辻堂がある(因幡志)。明治4年鳥取県,同9年島根県,同14年再び鳥取県に所属。明治7年八幡小学校が開設,同年の生徒数31(男26・女5),教員数2,授業料月72銭1厘(県史近代5)。同22年正条村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7410239
最終更新日:2009-03-01




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