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湯谷村(近世) 江戸期~明治11年の村名はじめ三河国加茂郡,寛永18年からは設楽【したら】郡のうち湯屋村とも書く(元禄郷帳・天保郷帳)岩岳東麓,矢作【やはぎ】川水系名倉川中流左岸,寺屋敷川流域の山村村名の由来は,伝説によると昔温泉が湧き出たことによるという(三州名倉)慶長7年作手【つくで】藩領,同15年幕府領,宝永5年相模小田原藩領,享保元年幕府領,同10年岡崎藩領,宝暦12年幕府領,享和3年陸奥磐城平藩領,文久2年幕府領,明治2年駿河静岡藩領,同年重原藩領村高は,「寛永高附」27石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに79石余明治初年の家数18・人数123(北設楽郡史)諏訪神社は元禄元年の創建といい,もと森上にあったが,明治初年現在地に移ったという天台真言二宗顕営の岩岳山金剛寺と称する古寺があったというが,寺跡は不詳文化13年信州中馬と津具馬との抗争があって信州中馬は津具村内の通行ができなくなったため,根羽村(長野県)から稲橋村,名倉回りで田口町村へ到達するという道順をとったことにともない,文政3年和解までの4年間,当村と大久保村に馬宿2軒(三之丞・与三郎)ができた(同前)明治7年戸籍簿集計表によれば,戸数18・人数123,馬38,田7町4反余・畑3町4反余同11年北設楽郡に所属同年納庫【なぐら】村の一部となる現在の設楽町西納庫の一部 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
湯谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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湯谷村(近世) 江戸期~明治11年の村名... |
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湯谷村(近世) 江戸期~明治10年の村名因幡【いなば】国高草郡のうち湖山池の南西岸,湖山川右岸に位置する地名の由来は,湯村の湯脈が当村の谷を伝わっていることによるという(因幡志)鳥取藩領古くは湯村の枝郷であったが,享和3年に地先新田として幕府に届出,天保5年分村した(藩史5)村高は,「天保郷帳」80石余(うち新田高8石余),「元治郷村帳」80石余,「旧高旧領」80石余元禄の本免は5.7,「元治郷村帳」の物成は35石余戸数は,「因幡志」7,「文久3年組合帳」6江戸初期および寛保年間以後に鉄砲禁止杭がたてられた(藩史5)「因幡志」によれば,隣村へは北の湯村へ4町,氏神は湯村にある新宮大明神,ほかに阿弥陀堂がある当村では,内仏を祀らず阿弥陀堂の本尊である阿弥陀如来を総仏として尊崇した明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同10年吉岡村に合併... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
湯谷村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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