ケータイ辞書JLogosロゴ 赤江(中世)


島根県>安来市

 戦国期にみえる地名。能義郡のうち。毛利氏の家臣宇山久信は戦功により毛利元就が約束した「能義郡赤江領家分百貫」を要求し,それに対し永禄12年9月28日毛利氏の重臣天野隆重が了解の書状を久信に与えたが(萩閥88),同年12月19日に「赤江 百貫」は毛利元就・輝元により富田【とだ】城在番を申し付けられた元就の子椙杜元秋に宛て行われた(萩閥3)。久信は,元亀元年6月11日に毛利元康に調査することを申し入れ,同年9月28日には吉川元春が元康に久信の正当性を申達,同年11月28日に毛利輝元は久信に赤江の代所として延福寺(鹿島町講武)のうち100貫を宛て行うと裁許,翌日祝儀太刀金覆輪300疋を添えて与えている(萩閥88)。江戸期の東赤江・西赤江両村のあたり。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7410442
最終更新日:2009-03-01




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