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- 余戸里(古代)とは
「余戸里(古代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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余戸里(古代) 奈良期に見える里名男衾【おぶすま】郡のうち平城宮跡出土の天平18年11月の木簡に「武蔵国男衾郡余戸里大贄鼓一斗」とあり,「和名抄」には見えない里は律令制度下地方行政区画の最下級単位であるが,霊亀元年の郷里制施行後は里は郷と改められ,郷の下部単位として里が置かれたこの制度は天平12年頃に廃止され,以後は郷の名称のみが使用され,里は用いられなくなったこの木簡の余戸里は郷里制廃止後のもので,余戸郷の誤記かと思われる現在地は不明 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
余戸里(古代) 奈良期に見える里名伯耆【ほうき】国会見【あいみ】郡のうち「伯耆国風土記」逸文(釈日本紀7)に「伯耆の国の風土記に曰はく相見の郡郡家の西北のかたに余戸里あり粟嶋あり」と見られる余戸里の遺称地は境港市余子【あまりこ】,粟嶋は米子市彦名の粟嶋山である今はいずれも弓浜半島に位置している「出雲国風土記」を見ると弓浜半島を「夜見嶋」と載せているから,余戸里は夜見嶋におかれた里である余戸は戸数10戸以上で,50戸未満の里をいう... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
余戸里(古代) 奈良期にみえる里名出雲国楯縫【たてぬい】郡のうち「風土記」に記される地名現在の平田市西北の十六島【うつぷるい】を含む地域(風土記参究)「風土記抄」では「万田・本庄二村を併せ」て余戸里としている... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」