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- 余戸里(古代)とは
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余戸里(古代) 奈良期にみえる里名出雲国意宇【おう】郡のうち現在の八束【やつか】郡鹿島町の講武【こうぶ】付近この里について「風土記」に「名を説くこと意宇郡の如し」と記すだけで,郡家との方里関係についての記述がない「風土記抄」ではこの里を現在の松江市本庄・新庄・邑生【おう】・上宇部尾【かみうべお】の付近と推定しているしかし,「風土記参究」その他,近年の風土記研究諸書によると,「和名抄」で多久郷が加わっている点から鹿島町講武付近とされている |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
余戸里(古代) 奈良期に見える里名伯耆【ほうき】国会見【あいみ】郡のうち「伯耆国風土記」逸文(釈日本紀7)に「伯耆の国の風土記に曰はく相見の郡郡家の西北のかたに余戸里あり粟嶋あり」と見られる余戸里の遺称地は境港市余子【あまりこ】,粟嶋は米子市彦名の粟嶋山である今はいずれも弓浜半島に位置している「出雲国風土記」を見ると弓浜半島を「夜見嶋」と載せているから,余戸里は夜見嶋におかれた里である余戸は戸数10戸以上で,50戸未満の里をいう... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
余戸里(古代) 奈良期にみえる里名出雲国楯縫【たてぬい】郡のうち「風土記」に記される地名現在の平田市西北の十六島【うつぷるい】を含む地域(風土記参究)「風土記抄」では「万田・本庄二村を併せ」て余戸里としている... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」