ケータイ辞書JLogosロゴ 有福村(近世)


島根県>江津市

 江戸期〜明治22年の村名。石見国那賀郡のうち。通称上有福村。江戸期を通じて浜田藩領。跡市【あといち】組に属す。村高は「石見国高郷村帳」では219石余,「天保郷帳」では252石余。天保13年の免は0.622。戸数・人口は延享3年66・355,明治3年92・438。人口の増加は加志岐川(敬川【うやがわ】の上流部)の支流湯路川の渓谷にある有福温泉が湯治場として繁栄したことによる。有福温泉は元和の頃から盛んに湧出し諸病に効ありといわれ,寛政8年には頼山陽もここで療養したなど,石見の名湯として山陽方面にも知られた。寺社には禅宗福泉寺・古寺善徳寺,八幡宮がある(八重葎)。慶応2年〜明治2年は長州藩預り地。明治9年島根県に所属。「皇国地誌」によると,戸数109・人口523,うち宿屋を業とするもの21戸と湯治場の形態を示し,主な産物としてハゼ・コウゾのほかに飴があげられているのが特色である。同22年那賀郡有福村の大字上有福となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7410585
最終更新日:2009-03-01




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