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石原村(近世)


 江戸期~明治22年の村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7410653]
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角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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石原村(近世)

王府時代~明治36年の村名島尻方摩文仁【まぶに】間切のうち方言ではイサラといい,隣の伊礼と併称してイリー・イサラという「おもろさうし」には「いしやら」と見える沖縄本島南部,与座岳の南西方に位置する丘陵上にコの字状に切石積みの残る伊原城跡がある(糸満市の遺跡)「高究帳」では,いしわら村と見え,高頭140石余うち田59石余・畑81石余脇地頭が置かれた村で,石原掟の管轄雍正7年(1729)の島尻方取納座定手形に,石原村・喜納村は摩文仁按司掛畑8石余・摩文仁里主所畑11石余・石原里主所畑21石余・喜納大屋子畑4石余を,諸出米并牛馬口米として粟で上納している(地方経済史料10)時期は未詳だが,喜納村を合併したと思われる乾隆51年(1786)摩文仁間切が疲弊し,再興のために検者を1人加立したが,特に石原村など4か村の疲弊はひどく,「将に離散に及ばんとす」という状態であった(球陽尚穆王35年条)さらに摩文仁間切には,嘉慶17年(1812)凶作・麻疹流行があり,下知役が設置されたが,この時も石原村など3か村は「人口減少し,将に覆村に及ばん」という状態であったという(球陽尚灝王9年条)咸豊2年(1852)の「役々おゑか地上納御差図書」に見える摩文仁間切役々オエカ地の石原村への賦入は麦7石7升起で,うち喜納・外間両夫地頭各1石余起,石原掟3石余起この分は,かめたう原・せと原・やす川原・堀川ノ上原・喜納当原・称ん原・米須いりちゃまノ下原・米須いりちゃまノ上原にある29筆の土地を,石原村の上村渠・仲東り・東り小・上原・前原や伊礼村・米須村の人々に小作させたほかに伊礼村の畑を叶立(小作)している上原なる者がいる咸豊4年,麻姓16世真起は,真壁間切阿保川水道捌方と,摩文仁間切阿志喜屋河原水咄所捌方を命じられ,阿保川の泉から100間余の用水路を石原村などの田まで引いた(麻姓小宗家譜/那覇市史資料1‐7)阿志喜屋は,大雨で沼となった石原村北のアシチャーのことと思われる拝所に,石原城ノ嶽・原オガミ・アシ川・佐久真ドノ嶽・石原ノロ火の神・佐久真根所火の神・殿(石原・佐久真)があり,石原ノロの祭祀(由来記)明治12年沖縄県,同29年島尻郡に所属明治13年の戸数34・人口151うち男86・女65(県史20)同36年伊原村の一部となる

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

石原村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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石原村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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石原村(近世)
 江戸期~明治4年の村名...

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石原村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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石原村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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石原村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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石原村(近世)
江戸期~明治10年の村名伯耆【ほうき】国日野郡のうち大倉山東麓,日野川の支流石見【いわみ】川上流域に位置する鳥取藩領村高は,拝領高224石余,「元禄郷村帳」314石余,「天保郷帳」380石余(うち新田高156石余),「元治郷村帳」441石余,「旧高旧領」444石余元禄の本免は4.5,「元治郷村帳」の物成は156石余戸口は,「伯耆志」42戸・217人,「文久3年組合帳」43戸鉄山があり,延享3年御案内手帳によれば鈩【たたら】1か所,運上銀100匁,黒坂からは2里半で馬かごは通らない「伯耆志」によれば,鉄山は桑平山・佐貫谷・砂田山の3か所にある「伯耆志」によれば,林30町余を有し,隣村へは北の花口村へ18町,南の備中国哲多郡奥谷村へ25町,西の同国同郡和忠村へ1里余,産土神は山王権現・大国主大明神・八幡宮,寺院は曹洞宗輝雲山珠福寺,ほかに小祠25・辻堂3がある山王権現は社方1間半,祭日9月29日,大国主大明神は社方1間,祭日9月9日,八幡宮は社縦4尺・横5尺,祭日8月15日珠福寺は寛永年間頃多里村常福寺峨翁玄朔和尚の開山といわれ,本尊は地蔵菩薩明治4年鳥取県,同9年島根県に所属明治7年石原小学校を開設,同年の生徒数男子のみ21,教員数1(県史近代5)同10年神戸上【かどのかみ】村の一部となる...

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石原村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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石原村(近世)
江戸期~明治8年の村名豊後国直入【なおいり】郡朽網【くたみ】郷のうち岡藩領久住【くじゆう】高原北部,大船【たいせん】山南麓の久住川支流境川上流左岸に位置するはじめ有氏【ありうじ】組千石庄屋,のち同組大庄屋に属した小制札場が設けられている村高は「正保郷帳」37石余,うち田13石余・畑23石余,水損がち「見稲簿」「天保郷帳」ともに37石余,「旧高旧領」109石余,貞享2年の村高106石余,村位は下,庄屋は源右衛門,安永7年の小庄屋要助(農民一揆)当村の土地関係史料には元文4年の「有氏組石原村検地帳」(武藤氏文書)がある当村は境川を境に肥後熊本藩青柳【あおや】村と接する享保9年の類族改では当村の類族男1,同年以前の死亡類族男1・女2(耶蘇宗門并類族御改帳)当村には久住山の法華院温泉がある同山の硫黄山は寛文年間に発見され,文政年間の休山まで藩の重要資源となった(直入郡村誌)明治4年大分県に所属同8年向原【むこうばる】村ほか6か村とともに有氏村に合併現在の直入郡久住町大字有氏のうち...

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石原村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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