市木(中世)
鎌倉期からみえる地名。石見国邑智郡のうち。南北朝期には市木郷,戦国期には市木村ともいった。建仁3年12月の「藤原(益田)兼季申文案」(益田家文書/鎌遺1418)に「市木」とみえるのが初見。貞応2年3月の「石見国田数注文」(益田家文書/鎌遺3080)には「ふくや知行 いちき 五丁六反」とみえる。「ふくや知行」という注記がいつなされたものかは明らかでないが,康暦元年8月23日付,「大内氏奉行連署奉書」(吉川家文書/大日古9)には「市木因幡入道」とみえ,市木氏を名乗るものがあったようである。至徳2年9月6日,市木郷地頭職はいったん周布兼氏庶子等に預けおかれたが(大内弘茂預ケ状/萩閥121),翌10月19日には吉川経見に対して市木郷が預けられ(大内弘茂預ケ状,吉川家文書/大日古9),以後吉川氏の領有するところとなったようである。年月日未詳の「吉川広家領地付立」(同前)には「参百貫 市木」とみえる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7410700
最終更新日:2009-03-01