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市原村(近世)


 江戸期~明治22年の村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7410721]
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角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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市原村(近世)

 江戸期~明治22年の村名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

市原村(近世)
江戸期~明治9年の村名はじめ三河国加茂郡,江戸前期からは設楽【したら】郡のうち天竜川中流右岸に位置し,南東向きの斜面に集落が点在する地名の由来は,「関伝記」によれば,正平元年に田辺国量が開郷した時には「市原,大谷は一村なりしが其後別村となる,元来此村の総名を大谷と称へしが,市原を先立ちて開き,一つの原と成るに依つて市原と云初めたる也」とあり,はじめは大谷村域も含めての開郷であったことがわかる「熊谷家伝記」によれば,天文8年関氏に属した時は100貫の地とあり,近郷で最も高い給知であったと伝える幕府領村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに116石余享保3年の書上帳では,反別は9町9反余(すべて畑),戸数41・人数228とある河内村に隣接する久原・山中を枝郷としていた大麦・大豆・小豆を主作とし,焼畑で楮などが作られていた年貢は延宝6年より金納であった信州方面や下流域からの諸物資の出入は,大谷村の天竜川沿いにあった船着き場を使っていた村の最上段の位置に曹洞宗竜谷寺があり,佐太・大谷・河内村をも檀徒としていた「関伝記」によれば,永正2年田辺氏の力によって永休庵が建ち,天正12年竜谷寺となったとある神社は,大谷村にある熊野神社を大谷村とともに祀った明治6年河内・市原・大谷・佐太の4村で竜谷寺を仮校舎として天竜学校を開校同9年富山村の一部となる...

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市原村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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市原村(近世)
江戸期~明治11年の村名尾張国知多郡のうち知多半島の中央丘陵部に位置する地名の由来は,「地名考」に櫟の原なるべしとあり,また「張州雑志」に市原は大高・市場・富貴などとともに,富貴城下の1つの村であり市場とともに城下で市のあった所かと伝えている尾張藩領鳴海代官所支配村高は,「寛文郷帳」「天保郷帳」ともに204石余,「旧高旧領」283石余「寛文覚書」によれば,概高212石余,ほかに新田の概高1石余,また概後の新田38石余があり,合計252石余・反別22町余(田15町余・畑6町余),家数45・人数194,牛馬18,松山230町余「徇行記」によれば,全村蔵入地,戸数82・人数359,馬16,「此村ハ山間ノ所故ニ農業ノ外余業ハナシ」と記され,新田を開くほかは小作か黒鍬稼ぎに収入源を求めていたようである天保12年の村絵図をみると,本郷は高城川を隔てて東の里・西の里に分かれ,枝郷の市原新田は海辺に近い富貴村内にある(武豊町誌資料編1)寺院は曹洞宗岡川寺神社は,本郷に県宮・白山・山ノ神・大神宮・秋葉社,市原新田に秋葉社がある明治11年三芳村の一部となる現在の武豊町冨貴の一部にあたる...

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市原村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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市原村(近世)
江戸期の村名三根【みね】郡のうち佐賀平野東北部,筑後川とその旧河道である古川の合流点西岸に位置する佐賀本藩領東郷(千栗【ちりく】郷)に属す村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに388石余,「天保郷帳」では405石余,「旧高旧領」には見えない給人・地米高は,「玄梁院様配分帳」では鍋島大和1石余・坂部又右衛門61石,「大小配分石高帳」では鍋島山城1石余・鍋島志摩58石余・坂部又右衛門35石余・池田半九郎25石・深川勘助10石・重松善左衛門10石・成富八右衛門10石「天明郷村帳」では御神料【みかみりよう】村の小村に見える疏導要書に,宝暦年間頃筑後川の氾濫によってできた池にハスを植え市原ハスとして売り出す,とあるこの池を蓮生【れんしよう】溜池という鎮守は仁徳天皇を祀る若宮八幡神社「明治7年取調帳」「郷村区別帳」ともに白壁村の枝村に見える「明治11年戸口帳」によれば,白壁村のうちに「市原村」と見え,戸数60・人口239...

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市原村(近世)
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市原村(近世)
江戸期~明治5年の村名美濃国土岐【とき】郡のうちはじめ神篦【こうの】村,寛文年間からは清水村の一部であったが,元禄年間に分村独立岩村藩領村高305石余(ただし各期郷帳は神篦村のうちに含む)土岐川左岸,小里【おり】川合流点付近に位置し,村名は北隣の一日市場【ひといちば】に関係して市の立った河原に由来助郷は中山道大湫【おおくて】宿へ出役鎮守は白山神社,並んで臨済宗妙心寺派禅体寺がある中世の土岐氏菩提寺光善寺廃寺跡に暦応2年の刻印銘を有す土岐美濃守護初代頼貞の墓(県指定)があり,正中の変に土岐頼兼に従って戦死した市原国宗の市原砦など,神篦・一日市場とともに土岐氏遺跡の多い地頼貞墓のある小字中島組は猿子村と小里川をはさんで相対しており,近世には猿子村とともに町屋並みをなしていたと伝え,享保3年45軒全焼の記録がある(瑞浪市史)明治4年岐阜県に所属翌5年神篦村の字となる...

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