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- 大井谷村(近世)とは
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大井谷村(近世) 江戸期~明治8年の村名石見国鹿足【かのあし】郡のうち江戸期を通じて津和野藩領吉賀【よしか】川の中流域の支流大井谷川の上流水源地域に位し,大鹿山南麓に当たる村名の由来は不詳「万手鑑」による村高は元和年間80石余,寛永14年検地では114石余「石見国高郷村帳」「天保郷帳」には村名の記載がない「吉賀記」に見迎村(柿木村)枝郷とある村の草創は三浦・村上の2氏で,平家残党に関連があると伝え,先祖祭が行われている剣王神社(八王子社)には荒神が祀られ,真宗西蔵寺がある正長年間,青原組柳村とともに紙を産出していたといわれ,良質の飯米田は藩主に供せられたという明治4年の戸数30・人口116(万手鑑)同8年白須山【しらすやま】村と合併して白谷【しらたに】村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」