- JLogos検索辞書>
- 亀田村(近世)とは
「亀田村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 亀田村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 亀田村(近世) 江戸期~明治9年の村名津軽郡田舎庄のうち津軽平野の中央部,岩木川中流右岸の平野部に位置する地名の由来は,鶴田村の近くに立地することから,鶴に対する亀として付けられたという(鶴田町誌)弘前藩領村高は,「貞享郷村帳」285石余,「貞享4年検地水帳」526石余(田488石余・畑屋敷38石余),「寛保高辻帳」285石余,「天保郷帳」437石余,「旧高旧領」603石余北は姥苞村,東は五所川原堰,西は大巻村,南は鶴田村に接する「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「相原・柳ケ本・おし上」があり,反別は田60町余・畑10町余(うち屋敷地1町余),田は上田から下々田まで,畑は上畑から下々畑まで設定され,屋敷地は郷蔵屋敷21歩を含むまた,ほかに,鷹待場としての留山24町余が見える元禄3年には広須組に属し,村位は下(平山日記),宝暦4年には広田組,同7年には赤田組に属した(鶴田町誌)文政2年の卯年書上之表によれば,家数64(うち百姓25・借地3・無高35・桶屋1)・人数397天明3年の凶作以後264石余が荒地になった(鶴田郷土史)神社は稲荷神社があり,祭神は倉稲魂命明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治初年の戸数112,うち支村亀田新田の戸数9,亀田新田は強巻【こわまき】村の支村強巻新田と雑居し境界が分かちがたいという(国誌)同9年鶴田村の一部となるなお,同年以降鶴田村内では旧鶴田村を甲鶴田村,旧亀田村を乙鶴田村と称したという(鶴田町誌)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」